昭和3年設置
平成30年11月18日認定
開業時に設置された粕川に架かる橋長42m、単線仕様の鋼製4連鈑桁橋。上部構造は4連の30ft鈑桁で、橋脚及び橋台は、1947(昭和22)年のカスリーン台風で橋脚と橋台が損傷したため、橋脚は六角形から円形に作り替えられ、橋台はコンクリートで補強された。橋桁は損傷が少なかったため開業当初のものをそのまま使用し今に至る。大きな災害を乗り越え、地域交通を支えた近代橋梁である。
昭和3年設置
平成30年11月18日認定
上毛電気鉄道の橋梁では格段に規模が大きく、長さ157.280mとなる。両側の橋台のほか橋脚は7脚で、すべて鉄筋コンクリート製である。前橋方面の前橋より橋台から第1号、2号・・・7号橋脚に至り、桐生より橋台となる。昭和3年時の実測河床をみると5m前後であるが、昭和26年の大水害以降は、第6橋脚部分の河床が7mほどと最も深く、さらに昭和57年の実測によると河床まで10mほどあり、橋脚の下半部分は昭和3年以降補修されている。橋脚の平面は長方形のダイヤモンド形で、それを支える基礎は楕円形の第6橋脚以外長方形であり、いずれも水の流れに添っている形状となっている。
昭和3年設置
平成30年11月18日認定
大胡駅舎より約200m西に位置する矩形電車庫。主体部はたちの高い2棟の切妻棟を並列させた桁行32m、梁間11m規模の木造平屋建で、引込線2線を収容し,作業場等を附属する。下見板張で、小屋組キングポストトラス。現存する電車庫の中で我が国初期の遺構。「電車庫」は開業当初、車庫と北側事務室・機械室第1、2、3倉庫・鍛冶場・浴室及び食堂・宿直室・電気作業所からなっていた。電気作業所の横部分は近年増設されたもので、事務室の北側の一部及び食堂東側は開業後まもなく増築したものである。機械室では、鍛冶場で製作したものを加工し、電車の部品等を製造していた。
昭和3年設置
平成30年11月18日認定
「開業時に設置された旧荒砥川橋梁は、現在の姿と違い、2連鈑桁橋であったが、現在の荒砥川橋梁は橋長47m、単線仕様の4連鈑桁橋(橋脚は3基)である。1947年(昭和22年)カスリーン台風被害により、橋桁、橋脚、橋台とも流され、1ヶ月半かけて再建されたものが現在の荒砥川橋梁であり、前橋方面の1連に、昭和3年当時に造られた旧荒砥川橋梁の20ft鋼板桁が再利用されている。残り3連は旧国鉄より譲り受けたもので、イギリス製で1903(明治36)年に制作された40ft鈑桁であり、明治期の輸入鈑桁を用いた貴重な現役橋梁である。
昭和3年設置
平成30年11月18日認定
開業時の姿を今に伝える昭和初期のモダンな洋風建築で、東西19.1m、南北14.6m延べ床面積189㎡の鉄板葺、木造平屋建の駅舎である。中央改札場をマンサード屋根(腰折れ屋根)、東側待合室を寄棟屋根、後部事務室等を切妻屋根とし、正面に車寄せを付ける。外壁はモルタル塗り、内部は漆喰塗り、腰折れ屋根中央部には、周囲を白く塗り、ガラス製の飾りがはめられた換気口が設けられている。また、換気口を中心にモルタルのレリーフが施されているのが特徴である。また、駅舎西側の「プラットホーム上屋」は開業時に建設され、昭和初期の状態をそのまま残している。